十一面観世音菩薩 (秘仏)

”春は花 秋は月かげ 清水の いつも絶えせぬ 滝の白糸”

と、ご詠歌にあるように、国と町と信徒で整備頂けた清水公園の桜並木に沿って、昔から文人に親しまれた硯川が流れる。ここは四季おりおりの風景に恵まれ、中でも参詣者に喜ばれるのは夏であろう。滴る翠の中に湧き起こる涼風の爽やかさ、その影に岩もる清水を集めて落ちる滝の冷たさ。まさに芭蕉の「このあたり 目に見ゆるもの みな涼し」の句そのままの幽境である。秋は紅葉の色に感動させられる。天明七年(1787)秋、詩人田季好がここに遊び「遊柁田記」一篇三千百文字に及ぶ長文を遺している。その中にここ、濃州第三景と称している。その時、東の峯を靉靆の峯と云って眺望よく、ここに登って詩作を楽しんだと記されている。
 紅葉のシーズンには、参詣者ばかりか数多くのカメラマンが列をなす。それは、この山の霊気と静けさが人を癒す力があるのかもしれない。参詣をお待ちしております。

交通アクセス・周辺地図

【電車バスの場合】JR高山本線・美濃太田駅よりタクシーで10分。
【車の場合】東海北陸自動車道・関ICより20分。駐車場あり。普通車10台可。東海環状自動車道・富加関IC、美濃加茂ICより10分。

周辺地図

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寺 史

 承和5年(838)僧良敏が記した「清水寺縁起」によると、大同3年(808)坂上田村麻呂将軍が開基、僧延鎮が開山と伝えられている。延鎮は大和国、小島寺の名僧であったが観世音のお告げにより、京都に来て音羽山に幽棲していたとき、鹿狩りに訪れた、坂上田村麻呂と逢い、東山に伽藍を建立した。これが現在の音羽山清水寺である。
延鎮は行叡居士を慕って東国の旅に出た。美濃路に入ると東北に金光が輝くのを見て、加茂郡加治田、白華山にたどり着いた。そこで行叡居士と再会、坂上田村麻呂に外護を蒙り、寺を創建して、白華山清水寺と号した。又、その、子坂上広野と、応分の寺領を寄進した、と記されている。
京都音羽山清水寺とはいわば兄弟寺と云う事が出来る。


寺 宝 ・ 見 所


○国重要文化財 十一面観世音菩薩
本尊十一面観音は立像でなく結跏趺坐の座像である。像高九二糎、総高一五二糎、桧材の一木造りで平安後期の作である。
姿は彫眼、胴は細くしまり、厚い膝は安定感を示している。左手に蓮花を持ち、右手は美しい曲線をなして膝にした美しい姿である。

○県重要文化財 二天門
建造年は江戸初期〜中期と考えられ、入母屋造りで桁行三間、梁間二間、正面と背面に軒唐破風をつけ、その上に一間四面の上層を乗せた望楼風の建造物である。
二天門の名の由来は、四天王のうち、持国天、増長天の二天王を安置するからである。共に町の重要文化財である。

○県重要文化財 地蔵菩薩
室町時代初期の作、桧の寄木造である。顔と手足は漆箔、木地の上に褐色の塗料をほどこし、その上に蓮華の模様や麻の葉の渦巻、雷紋など截金技法がほどこされている。

年中行事
大晦日〜元日  除夜の鐘撞き
1月成人の日 人形供養
9月9日 九万九千日法要
12月16日 秋葉大祭


 
 
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